断捨離するyona

人がいなくなって、物が必要でないことに気づきました。

両親の日記

今朝の階段滑りの打ったとこが、メッチャ青アザになっています。

右のふくらはぎが、すごく腫れてきたので、湿布を貼るためにトイレに行きました。

太ももの上(おし◯)にも貼ろうと、下着を下げると、凄い青アザ!

何故、ゴミ袋を手から離して、両手で手すりを掴まなかったのか、すごく悔やまれます。

話は変わりますが、両親の日記なのですが、姉に言うと、「私も読まれたくない」と言います。
じゃあ、捨てようかと言うと、任せると言われました。
とりあえず、七回忌まで置いとこうと思います。
読まれたくと言いながら、最後の日記は読みたいという矛盾した姉!

母が先になくなったのですが、その時、次から次へと、大学ノートを日記にしたものが出てくる出てくる。
「三日坊主にならないよう日記を書こう。」「今度はずっと続ける。」など、何度も何度も同じ事を書いたものが一杯。

結局、書いてあるページだけ切り離して、一冊のファイルにまとめました。

私だったら、読まれたくない内容がほとんどでしたが、母が考えてたことがわかり、私は読んで良かったと思います。
ただ、私の事をかわいくない子だと書いてるページを見つけた時はショックでした。
ものを上げる、いらないという些細なやり取りの喧嘩なのですが。
でも、優しい子だと褒めているページもあります。

父は、きちんとした1年分の日付がある日記を何年も書いていました。
愛用している日記帳があるらしく、最後の日記は、一緒に本屋さんに行って買ったものです。
ただ年が明けて、入院してそのままいってしまったので、ほぼ何も書かれていませんでした。

父は、読んで欲しかったのかな。
それともそんなこと何も考えていなかったのかな。
私は読んで欲しかったから、置いてたのだと思います。
だって、自分の命の期限を医師から聞かされていましたから。
酷い医師でした。
耳の遠い父に大きな声で、治らんからね!って。
そして、さいごの日も、お腹が痛いとのたうちまわっているのに、一度も顔を見せませんでした。

話がずれてきましたが、
私は日記を捨てました。
見られて恥ずかしいものは1つもありません。
今、いついなくなってもいいように整理をしています。

断捨離という言葉に触れて、ますます取り組んでいます。
少しずつ記録として残して置きたいなぁと思い、このブログを始めました。

ネットのブログなら、身内にばれることはないから、安心です。
周りに詳しい人がいないからです。

父のブログは、ほぼ日常の記録です。
時々、私達姉妹にありがとうという気持ちが表されています。

まだ、全部目を通していません。
父や母のことを理解するために、きっと両親は日記を残したのだと思い、読んで行こうと思います。